平家
松家氏(木屋平氏)は伝説によると、桓武平氏、平知盛の子・伊賀守知忠の子孫ということになっています。伝説というものはそれほど信用のおけるものではないですが(^^;)知忠とはいったいどういう人物だったのでしょうか?
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清盛 (1118〜1181) | 平家の嫡男。権勢の階段を駆け上がり太政大臣となり人臣の最高位を極めた。養和元年熱病で没した。享年64歳。 |
知盛 (1152〜1185) | 清盛の第四子、壇ノ浦合戦(1185)の平家軍の総大将。一族の滅亡を見届け自らも壇ノ浦に入水。享年34歳。 |
知章 (〜1184) | 知盛の長男。一の谷(兵庫)の合戦(1184)で源氏軍の奇襲に逢い父の身代わりになり戦死。享年16歳。 |
知忠 (〜1196) | 知盛の次男。母は治部卿局。 源平の戦の当時はまだ幼く、参戦はしていないと思われる。 伊賀で育てられた。健久7年(1196)藤原能保襲撃を企てて殺害される。享年16歳?逆算すると壇ノ浦の時は5歳程度と思われる。 知忠の子孫は伊賀の北で育てられ子孫が「北」姓を名乗っており、義満暗殺に失敗したそうです。(情報提供:服部明子スミス) |